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ダウンタウン、仕事ない日も黙々ネタ作りのダウンタウン秘話 [芸能]

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 ここで話すのは吉本興業株式会社の大崎洋社長だ。大崎社長は’53年、大阪府堺市生まれ。関西大学社会学部卒業後の’78年、吉本興業に入社。’09年4月には代表取締役社長に就任した。そんな大崎社長がダウンタウンの2人と出会ったのは’82年、『吉本総合芸能学院(NSC)』が開校し、大崎社長が同学院の担当になったとき。ダウンタウンはNSCの1期生だった。

「初めて松本と浜田(当時は『松本・浜田』)の漫才を見た瞬間『あっ、まだこんなやつがいたんや!』と思いました。無愛想で不良のような顔と態度の2人でしたけれど、ネタの運びやしゃべり方の間、手振り身振りの表現力、そして、何よりも発想の突拍子さ……。どれもめっちゃ新鮮で、驚きでしたね」となによりも信頼している様子であった。  

 しかし、ダウンタウンは当初まったく売れず、2人は会社の誰からも相手にされなかった。そこで、大崎社長が個人的にマネージャーを引き受けることになるのだが、仕事はなくスケジュールは真っ白だった。

「真っ白なスケジュールを渡してもしょうがないので『○月×日△時から大崎とコント打ち合わせ』などと3人だけのスケジュールを書き込んで彼らに渡しました。それでも2人は『これは仕事と違いますやん。大崎さんと打ち合わせしているだけですやん』とは言わずに『ありがとうございます』と受け取って、時間どおりにやってきて、3人で一生懸命黙々とネタ作りに励んだ」

 そうした日々の蓄積が、ブレイクして今日に至るまで、息切れもせずに長年にわたりお笑い界に君臨する2人を作り上げる結果となる。大崎社長は『ダウンタウン』の2人と出会ったことで、本当の意味での仕事の楽しさや、ともに育っていく楽しさ、喜びを知ることができたという。

浜田と松本のガキの使いのトークにて、こんな話もある。

「浜田さんが明日死ぬとしたら、何をしてあげますか?」というハガキが来た。

松本 「あのー、あー、なるほどねぇ」

浜田 「明日2時に死ぬんですよ。これはもう確実に死ぬんです。ほんで残り少ない時間を…」

松本 「はいはいはいはい、あのねぇ、僕はこれぶっちゃけた話ねぇ、何をしてあげられますか、というよりも、何もしてあげないですよ」

浜田 「…それはどういうこと?」

松本 「なぜならば!」

浜田 「はいはい」

松本 「何もしてあげないというよりも、何もしてあげれないんです!」

浜田 「それ、どういうことなんですか?」

松本 「あなたが死ぬ前に僕が死にます」

浜田 「なんでやねん!」

松本 「お前のいない人生なんて考えられない!」

浜田 「お前…お前なぁ…笑」

松本 「もう何もできないですよねぇ」

といっておりまさに二人で一人だ。

こんな二人にも売れない時期があったので、芸能界は厳しいものがあると思うが、それでも浜田や松本のような芸人が沢山生まれれば沢山の笑いが生まれるだろう。芸能界にはこれからも頑張って欲しい。

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